~真実の価値~
誰が読むんだよって投げ捨ててはいけません。
誰が得するんだよって悲観的にもなってはいけません。
誰のためでもなく、いや、自分でも誰かのためでも、そこに『意味がかすかにあれば』それだけでいいんです。
ということでエッセイ風日記をスタートします。
じゃあ、なんのためっていうのを今決めてしまおう。
これは、自分自身のためであり、奥さんであるしろちゃんのために、俺はこの日記を書くとする。
というか書き続けることにする。
たとえ三日坊主だったとしても、少し間があいてまた書く気力が出れば日記をこうして書こうと思う。
今日記を書く気力がある素晴らしい状態である。
さて、最近思うことというか、今感じてることを自由に書きます。
まず俺は、全然自分に才能がないと思う、何においても。
あるとすれば、好きなものを好きで一途に居続けられることだろうか?
好きなアニメ。
好きなゲーム。
好きなスポーツ。
カープが大好きetc。
とりあえず、その道、その作品、そのものを愛したらずっと愛し続けられるのが才能だと思う。
家族や奥さん、子供。
これからもずっと愛してる。
あらやだこんなことネットに書いちゃった。
まぁそれはさておいて。
書くっていいね。
何を書くにも、書くことはいい。
そこに何かが生まれ、それを読む人がいれば感じることや伝えることが出来る。
かりに誰にも読まれなかったとしても、書き続けることで、自分の心や出来事をずっと表現し、そのページに記することが出来る。
つまりは、アルバムのページに記された文字や言葉は、黄ばもうが何しようが、色褪せない思いがそこに綴られるんだよ。
自分の綴られる言葉で、誰かを幸せにできたら、それは本当にうれしいこと。
誰かというのが、家族であってもいいし、何だったら自分であってもいい。
自分が幸せになる、自分のための日記。
そんなものがあったっていいではないか。
ブログで稼ぐにはって、いろいろ調べたけど、『有名人でもないあなたの陳腐な日常なんて誰も興味ありません』と書いてあったが。
まぁ、そりゃそうかもしれないけど。
価値を決めるのは心であり、自分だ。
他者の価値が自分の価値ではない。
自分の決めた価値こそが真実の価値なんだ。
だから、今打っている文字、言葉、それらに価値を感じていると、俺が認めてしまえばそれが答えなんだ。
人の心に残るものとは、自分の成長にともなって見える視界の価値のある一瞬の副産物であっても、その頃思いは保管され、また幾つかの時が流れてそれに触れたとき、その価値のある瞬間を、
『やっぱりいいな』
ってその頃の自分に少し立ち戻った気になっていいと思えるんだよね。
なんでこんな漫画が家にあるんだろうって思っても。
ふと少し覗いてみたら、趣を感じてた自分が目を覚まし、その頃を思いって蘇るんだと俺は思う。
だから、この日記エッセイも10年後、20年後、読んだときに、
『こんな事俺書いてたんだ、いいな、若いなー俺』
って思える日が来たら。
それって人に認められなくても、まさしく『真実の価値』だよね。
ではでは、今日はこの辺で
家にきゅうりとオクラを買ってって。
そうめんでも食べましょー!
では! アリーヴェデルチっ!